ご無沙汰です。今月は絵を描くことより他のことに時間を費やした。
結果として絵については上達はない。非常に正しい結果である。
絵の描き始めから今までを振り返る。
昔は上手な絵を描くためにただ模写をして、満足感を得ていた。次に自力に描けないことに悩んだ。人には「模写はうまいよね」っていわれる感じである。なぜ自力で描けないか?それは描くもの自体を知らないからである[或いは、知った振りをしている]。したがって、自分は解剖図などで人の構造を暗記[=整理、圧縮]した。そうすれば比較的何もなくても自力で描け始めた。今では絵を描くとは構造を知ること、構造を覚えることと同義語になっている。模写で培った技術は、より正確な定規を作るための基盤となる技術として大いに役に立った。自然にそういった技術が培われたことは運が良かった。これからも色々なものの構造を描いていきたい。何を描いていないために、これが描けないという風に上達を機械的に感じれるようになったことは非常に良いことだと思う
。
でも作品も作って今の自分の限界を感じることも必要なんだろう。自分の場合、そういったことを感じると根本的に解決しようと考える性質なんで作品どころではなくなる。だから何か作品をコンスタントに出していける人間はすごい。そもそも目的が異なるということもあるんでしょうが、でも自分には真似できないし、しない。
前に目をつぶって描けるようになると冗談で言ったが、もしかしたらそれが出来ることが人が理想とする、絵を描く本質的なメカニズムと関係していると感じた。絵を描くのに視覚は補助的な役割しかしていないんじゃなかろうか。つまり視覚情報を遮断しても手が動くってこと。何を情報の根源として描いているんでしょうかってことです。
模写では100%視覚に頼るのが理想だが。
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