"アイライン"(=水平線、地平線、カメラの高さ)と"奥行きの圧縮"(=重畳、重複)を最初に設定することで、初めて線を正しく引くことが出来る…もっと言えば、線を引く許可が下りる…そんな感じ。その二つを設定せずして筆を走らせることは本来はできない。ただ、普通は感性とか慣れとか、そういうものに頼り曖昧なままでもそれなりに見えるように描けるのだが…、機械じみた迷いのない精密高速描画は不可能だろう。"奥行きの圧縮"というのは、モノの重なりのことである。"大きさの圧縮"と"奥行きの圧縮"は反比例的関係になる。望遠レンズでは、奥行きの圧縮が強く、大きさの圧縮が弱い。広角レンズでは、奥行きの圧縮が弱く、大きさの圧縮が強い。奥行きの圧縮が弱いほど、対象の立体感を生じるような描き方ができないといけない…つまり、構造を知れということだ。構造を正しく知るには模写が道具として機能できると便利。
アイラインが定まれば、ある消失点に収束する線束(つまり消失線)とアイラインとの角度も一定となる。広角レンズから望遠レンズに切り替えても、この消失線とアイラインのなす角度は一定であるはずであり、この角度が変化したら、アイライン(カメラ)の高さが変化したということだ。もちろん、視野角が通常の狭さ(0点透視図法や1点透視図法=弱望遠~望遠レンズでの見え方)においての話である。2点、3点透視図法以上に関してはこの限りではないが、そんな見え方を多用するのは常態ではない。
0点透視図法といったが、これは画面から遥かにはみ出た所に、消失点がある場合を想定している。望遠レンズで見て、狭い領域を切り取った見え方なのですが、そういう見え方を採用することを"0点近似"と呼びたい。"0点近似"で描く場合、消失線から消失点の位置を推定しようにも平行すぎて不明瞭になりますが、逆に言えば、少々消失点の位置がずれようが無視できるということだ。だから開き直って消失点などは考えない。こういう見え方が、望遠レンズではよくあるし、利用する姿勢であるべきだ。
黒澤 明の「赤ひげ」(1965年)では、望遠レンズからの撮影が多い。数十~数百メートル遠方から被写体を拡大して見た時、ある狭い領域を切り取った画面である。その画面内の被写体を含む"背景"は、非常に狭い領域だけが写ることになる。これにより、意図通りに"背景"より"被写体"に注目できるようになる。これは広角カメラ(接近して撮影した時の見え方)との顕著な違いの一つである。この望遠レンズ特有の絵は、意識的に見極めていかなければいけない。可能ならば、いわゆる"奥行きの圧縮"の程度から、カメラと被写体の距離を感覚的に割り出せればしめたものだ。
アイラインは、カメラの高さ(z)だけを定義するので、残りのある平面内の座標(r,θ)はまだ自由である。この座標の内、片方のrが決まれば距離が定まり、この距離に対応した"奥行きの圧縮"となる。
参考文献
『マンガの教科書シリーズNo.3 リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座』 (著者 西澤 晋,2009年)
⇒実際の見え方や絵作りに関する、パースとカメラの観点からの考察・知見が載っています。僕の知る限り、そういった絵作りに言及した本は他にないのではないかと思う。
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