ボールペンで描いたものです。ひたすら描いてみる実験。
後頭部-首-肩のあたりの立体感とかよく見とこうと思った。
ワンピのOP13カッコイイね。胸熱だわ!
今日もアニメが見れることが幸せだ。
話は全然替わるが、今、ルネサンス期から科学革命までの一連の歴史について興味がある。ルネサンスに天才が偶然、沢山生まれたのではなくて、そういった天才になりえる人間はいつの時代にも一定量存在すると考えるのは許されるだろう(私は人間なんて素粒子と同様、個性など皆無という仮説を物を考える時には採用しているので。個性的だと感じるのは忘却作用によるものだ。)。興味深い点は、どのようにしてルネサンス期に、天才が開花する状況を作ることができたかである。まず、神の不在を証明するような科学的思考(悪魔的思考)を広めたりすることが許されない世界であり、異端として認識されれば最悪、焚殺される。そういった圧力があったことも事実だが、直接的な原因は、10世紀頃に、古代エジプトやアラビア圏で紀元前~10世紀までに発展していた錬金術と永久機関の研究内容の書籍がギリシア語からラテン語翻訳されてヨーロッパ中に広まったことでしょう(12世紀ルネサンス)。内容を知ると、どうやら当時の宗教・哲学が教えるような世界ではないと気づき始める。神さまを理由にするまでもなく、物事が説明できてしまったんだな。神の名を借りて私欲を満たす聖職者がいれば、その論拠となる神を殺しにかかる人もいるだろう。
錬金術から化学になったのは、元素リンの単体抽出からだといわれる。面白い点は、当時の錬金術などの科学的実験をしている人は、魔術師と呼ばれている点だ。魔術師自身も錬金術で使用する技術:酸化、蒸留、析出などの化学的処理を魔術と呼ぶのですから。現代的には、科学と魔術は対立するような概念だ。しかし、宗教的世界観が常識の当時としては、現代の科学の立ち位置に宗教の教えがあり、それ以外の神の権威を脅かす異端思想は魔術的だと表現した。実際、ローマ教会は翻訳によって広まった錬金術を魔術的だとして禁止した。今の感覚からすれば、宗教の方が魔術的でしょうよ。
魔法を既存の科学よりも高度な科学と認識するなら、まさに歴史的に証明されているね。
当時の魔術・異端の思潮を受け継いだのが現代の科学。つまり、今の科学者は当時の言葉としては魔術師に該当する人々なのです。多分、僕は『光の魔術師』に該当するんだろうが、もっと広く『量子の魔術師』とかいうと新鮮だな。
科学革命前夜の研究などは、力学・光学は今でも遜色のない内容なのに、同列の学問である錬金術では魔術って言葉が使われているという状況だったのは夢があるな。科学者(魔術師)が元々とんでもない夢追い人っていうのがわかる。科学と魔術が錯綜した時代は確かにあった。
アラビア語の定冠詞(al-)を発見すると中世はまさにイスラーム時代だったんだと気づかされる。錬金術(アルケミー)、アルコール、アレキサンドリアなど。化学はアルケミーから定冠詞をとったもの。アルコール⇔アル・コホル。コホルとは化粧瓶のこと。アル・イスカンダリィーア(the 地中海)。アルマゲスト(天動説、al-magest=最も偉大なもの)。アルゴリズム(the フワリズム出身の人、中世アラビアの数学者)。
アッバース朝などのイスラーム文化の国の大躍進により、キリスト圏の国の勢力が縮退したことも科学的思考(決定論[運命論]的思考、悪魔的思考)に対して圧力が減少した原因の一つかもしれない。ラスター彩陶器(今で言うセラミックス素材)などの工芸品など見ていると、イスラームは一応、偶像崇拝禁止だけど人間や動物の絵などの陶器が多く出土していることがわかる。キリスト圏よりは、錬金術などの魔術が発展できる柔軟な風土だったのかもしれない。
追記110106
イスラーム(神への『恭順』を表す)の人々は、神のもとでの平等を原理として掲げ、奴隷の存在を原則として認めず、理論科学による実践の補助を鼓舞した。バグダードのバイト=ル=ヒクマ(知恵の館)。
参照
1) ルネサンスの思想家たち(1963年、野田又夫)
2) 神と物理学(2002年、池内 了)
3) 科学史年表(2003年、小山慶太)
4) 科学論入門(1996円、佐々木力)
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