今度は2メートル離れた。これも結構前に描いた絵だから前回の日記のコメントのご指摘は反映されていません。本棚に寄りかかりながら立って描いていたので、アイラインは前回より高くなってます。
近接の場合、ターゲット(二人の人間)の大きさが距離xに大きく左右されて大小が明確になる。今回であれば、手前の女性の頭の大きさが後ろの男性の頭の大きさの約2倍になる。正確には、距離に対して大きさは反比例する(当然か・・・)。
望遠の場合、ターゲット(二人の人間)の大きさはほとんど同じ。
だから、複数人いる絵の場合、写そうとしている人間(被写体)からカメラがどの程度離れているかの視覚的判断の最大の材料は、視野内の異なる場所にいるもう一人の被写体の大きさ(との比較)である。
とても日常的で取るに足らない出来事を文章化すると、面倒臭い言い回しになる。
アイライン(視点、カメラの位置)が上がると、絵の机の列の平行線の紙面上の角度が増す。これも当然。仮に机がより左に寄った場合、机の平行線の紙面上の角度は減る。
ここで、視点を無限遠に上昇(もしくは、下降)すると、机の列の平行線は自分の真下(90度)(もしくは真上(-90度))となる。この時、視点を上下運動だけでなく、左右にも揺動させても角度は微妙に変化する。視点を左右のいずれでも構わないが、無限大に離せば角度は0度に漸近する。これに加え、遠くにある物体は、詰めて描く(圧縮して描く)。この時、その圧縮する比率を圧縮率と呼ぶならば、この圧縮率はどのように表現されるのか。そして、その表現の式から導かれる結果は、私たちが現実で感じる感覚とどのように対応しているのか。以前、複比という概念が必要と思ったが、あれ以降考えていなかったな。
「だまされる脳-バーチャルリアリティと知覚心理学入門」っていうブルーバックス(講談社)の書籍は役に立った。疑う機会が少ない感覚について知ることができる。私たちが無意識下に判断している距離感などを、なんとか言語化できるように研究されていたりする。バーチャル空間とか作り出すことに役立てるという目的があるようだが、絵を描くにしてみても同様の姿勢であるほうがよさそうだ。
エンメルトの法則というものがある。太陽のような強い光を直視した際にしばらく像が残る。これは、網膜の光を感知する細胞がサチッ(飽和し)た結果なのだそうだ。視野上の残像の大きさは、網膜上の一時的に機能が低下した細胞のある領域の面積と対応しており、普通に考えると残像の大きさはしばらく変化しそうもない。しかし、遠くの白い壁を見たときの残像の大きさと、近くの自分の手を見た場合に重なる残像の大きさは異なるのだ。そして、この残像の大きさは距離に正比例する。遠いほど残像は大きく、近いほど残像は小さくなる。これが、エンメルトの法則と言われ、錯視の一種とされる。つまり、脳は得られる情報から無意識に距離を割り出していて、それに基づいて残像の大きさを脳内で調節して、その結果、出力された視覚を疑うことなく私は信じることになるのである。
自分にできること全てが、理屈を説明できるくらい十分に理解できているという理由により、できているのではないことは知ってはいるが、少なくとも理解しようとしなければ思い通りには操れない。エンメルトの法則を逆手にとれば、僕達に黙って脳が勝手に演算している距離を、残像の大きさの変化の差から割り出すことが出来る。その推定された距離Xが実測距離xをどの程度正確に反映しているかはどこかの学者が検証しているでしょう。自分が無意識に割り出している距離Xを知りたいがために、意識下で感知できる残像の大きさという情報から逆算して距離Xを見積もる。これが正確であれば、大した能力だと思うが。
追記110206
レオナルド・ダ・ヴィンチの考案したカノン(Canon=古代ギリシャの美術用語で、基準・標準の意。)
「頭部は全長の1/8、面長(三等分される)1/10、髪際~のどのくぼみ1/7(ウィトルーウィウスでは1/6)、頭頂部~のどのくぼみ1/6、のどのくぼみ~へそ1/6、手1/10、胸幅1/4、腰幅1/6、全身は正方形にも円にも内接される。」
分数化された肢体の各部位が、有機的連関を持つ統一された方程式として表現できれば、これまで語られた統率感のない散漫なカノンの次元から一歩先に進んだ段階になった気がする。
アルベルティの使用した「エクセンペダ(@『彫刻論』(1464年))」と呼ぶ方法の基本的な考え方は、「人間の大小に関係なく、個々の肢体部位相互の同一関係を作ることにある。」このため、「最も基本となる部位の長さで割り、比にする。規格化する。」人間の肢体の適当な部位を最小単位として全体を測定する。
人体均衡論の歴史の上で、幼児の身体についての最初のカノンは、9/10世紀のアラビアの学者結社「純潔兄弟団」に見られる。それは後にブラッチアや面長という単位が使用されることになる。基準単位による最初のカノンでもあった。但し、幼児の比例がそこで示される意図は、画家や彫刻家の芸術的実践のためでなく、それが「調和的宇宙論の一部」をなすという見方からであった。モデルとして新生児のカノンが示され、親指と小指を広げた長さの指尺が基準単位として採用される。身体の区切り方は古代ギリシアのそれに拠るとみなされる。
(参照・抄録:「アルブレヒト・デューラー絵画論」)
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