「ヨーロッパの芸術文化全体を集大成して自己のものにする(by ルーベンス)」
「個人を超えた普遍的表現を信じている(by ルーベンス)」
「偶然的なものの排除と確実なものの選択である(by ルーベンス)」
ルーベンスは、絵描きというより科学者的な発言が多いようです。
既存の知識を集大成して自己のものにする・・・とは、端的に言えば「編纂活動」なのであり、これはどの分野においても通用する姿勢なのだと思う。人の物を本当に我が物とすることでしか偉大な物は創出されない・・・とゲーテは言うが、ルーベンスと同意見となる。既知情報を効率的に取り入れるためには、絵を描くのと同じくらい本を読めってことになるのだ。今、私が持っているものだけでは足りない。
大抵の場合、自分が発見したことなんてものは、過去の誰かが既に発見しているわけである。
「真理は発見されて既に久しい(by ゲーテ)」
「天が下に新しいものなし(by 旧約聖書)」
と遥か昔から幾らでもこの手の箴言は何度も語られている。何度も語られるのは、人間がそれを忘れやすいからだ。誰もが陥りやすい環境・境遇であればあるほど、誰でもそれについて皆と同じように知っている。そうであるならば、これからどういったものが新しくありうるのだろうか・・・。おそらく今の時代に、未来永劫、普遍的に役に立つ新しい創造(=天才的創造)をするには、既知情報をひたすら掻き集める編纂活動を通して、物事を総合的に判断できる境地にならなければ成し遂げられない。例えるなら、地上から宇宙まで上昇して、初めて地球が球であることが確かめられるような知見。普遍的な既知情報を100個集めた時に、初めて見えてくる一つの知見。一つの巨大な建築物を建てるかのように、過去現代未来の何世代もの人間が脈々とリレーのように代わる代わる協力し合い、いつ出来るかわからない究極を信じてコツコツと自分の役目を果たし死んでいく。私が世界を感じるときは、そういった昔から続いているイベントに新参者として協力しているときではなかろうか。系譜意識とはいい言葉だと思う。
11個の世界を漏れなく見渡せる十一面観音様や、無限の変数を編み込んだ回帰式モデルを即興導出し、統御されるラプラスの悪魔は、正当な総合的判断が可能な憧れの存在であり、未来予知も朝飯前なのである。未来予知という表現は相変わらず人間の視点である。
トルストイが歴史に求めたものは、雄々しく儚い物語なのではなく、歴史はどうあがいても今のようにしかなりえなかったという確信だろう。すなわち、歴史を知ることは広義的に「運命の法則」の検証だといえる。自分にもこの欲求は多分にある。僕が自発的に歴史を学ぶならば「運命の法則」の検証という大きな目的がなければおそらくたいして感興は生じない。歴史を自ら学ぶような珍しい人の中には、単に物語性を楽しむ人もいるのかもしれない。しかし、多くは何かしら問題意識がまずあって、それを解明したり、検証するために学ぶ人の方が多いのだと思う・・・。でなければ、まず本の選定基準すら持ち合わせておらず長続きするのか疑わしい。歴史を学ぶ本人は、そんな仰々しいものではなく、単に調べ物をしていると言うかもしれないですが・・・。
未来予知という抗えば予定変更できる可能性がありそうな動的現象として捉えるのではなく、惑星の公転などの凝り固まった静的現象だと捉えるのが決定論的思想だと思われる。
ゲーテは、既に知られていても素晴らしいものなら表現しても文句を言われる筋合いはない的なことを言っているので、既知情報がつまらないというわけではない。というのも、普遍的なものはいつの時代でも語る価値があり、人々が絶えず入れ替わる以上飽きられなからだ。そういえば、気象予報とかで使われるカオス理論って決定論らしい・・・。だから、本当に何もかがデタラメなカオス(混沌)ではない。量子において決定論が否定されているが、決定論的思考は有効でなくなったわけではない。誤差があっても関係式として表現する価値があるなら決定論を土台としているのであり、波動方程式は確率的決定論とされている。決定論は否定されて話は終わったように思われるが、結局、決定論的に考えられるような姿勢でなくては人間は基準を持たず、判断力のないものになってしまう。
編纂活動をしていると、自分の経験が浅く未熟であるために確信にまで至れなかった観念を、遠い昔の年老いた賢者が堂々と断言していたことを知る機会が稀にある。この疑念から確信への醸成は、本来私自身が長い時間を掛けて将来得られるものであったのだが、全く知らない人の意見によって未来を先取りしたことになるのだと思う。観念・思想の先物取引だ。アルベルティの「エクセンペダ」や人体均衡論の「カノン」は、そこまで得がたい着想ではないが、概念自体が名前を持って存在していることは勇気づけれる。自己の成長の各段階で類似した発想はあったが、先人の考えを知ることでより意識的に課題として捉えられる心境になる。これは自分だけでは中々難しいことだ。
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