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 以前言ってた、直線の角度とカメラの位置の関係を示す。
直線は奥に行くほど、消失点(消点)に収束していく。錯視に当たるかどうか不明だが、見た感覚よりは角度が小さい場合が多い。角度が60度かなと思って、手を水平にかざしてみると、あれっ!?45度だってことも多い。実際に、aとxを確認すると、確かに同じ程度の距離だったりする。
 この部分に関しては感性よりも知性を優先したほうが今の段階ではいいのかもしれません。理解した上で感性に任せると、理性が補完するようなりそういう状態がよい。
 わざわざ描いて感性で捉えなくても、頭の中で角度とカメラの三次元的位置の対応が可能となる点が便利。
 僕が、淡々と無味乾燥なレシピ通りに描いた絵、つまり、視聴者にこういう風に受け取って欲しいなんて思索を働かすことがなかったとしても、描いた本人である僕以上に見る人が『想像力を誘発させる(感応させる)』ような技法(レシピ)があれば、それは絵を操作しているといえるのかもしれません。もちろん、全面的にその方法が最高に素晴らしく、目指すべきものと主張する気はありません。

 あと、余りにも自分に接近した部分の直線はもちろん歪みます。ただ、角度に関して、望遠と近接の区別は常識的な範囲(普段、自然に見える程度)でならば必要ないようだ。望遠と近接は圧縮率に依存する。

 図書館で、射影幾何学の本借りた。複比が説明されてた。

110224
『複比と消失線に基づく車載単眼障害物検出(画像認識、コンピュータビジョン)』(2004年)
っていう論文があった。発想は今まで考えていたのと類似しているから一見の価値がありそう。
圧縮率は、反比例、Y=x^(-1)だと思う。冪(べき)関数Y=a^xかと思ったが、冪関数では容易にフィットできない。
単純に、同じ大きさの物体が、2倍離れれば、1/2の大きさに見えるというのがどうやら実験的にも正しい。
圧縮率をY=x^(a)として、aを任意の実数とすれば、圧縮率を制御できる。基本的にはa=-1。

110225
 圧縮率は、実測値から反比例に確定した。
また、自分の向いた方向の前後2つの消失点を結ぶ、消失線に対して、その収束する比率(圧縮率)の一般式を考える。この時、私の主観を根拠に選択するならば、コーシー分布(ローレンツ関数)の確率密度関数が数理モデルとして有用と感じた。このモデルの当てはめには正当な理屈はない。裾野の減衰も緩やかで見た目が似ていたから使ったというのが本当のところ。
 コーシー分布を試してみると、現実とのフィッティングに微妙な面がある。そもそも反比例を完全には表現できない。裾野とピーク付近のいずれかを犠牲にしてしまう。ただ、一旦、現実の再現とは割り切って、コーシー分布に従う圧縮率を考えるのはありなのかなと思う。でも、その定量性を感覚的に描写しきる自信はないが。
 まずは、肉眼による現実を再現しようと思う。

 反比例だと、自分の目に非常に接近した時は、関数的には無限大を与える。しかし、実際には、対象が最接近したとき十分に離れていれば有限の長さに見えるはずである。つまり、遠方では反比例の挙動を示すが、近づくにつれ、反比例的挙動が弱まり、最接近した時にはある有限の最大値となる。このことから、消失線の水平線に対する角度の変化を丁寧に調べる必要がある。
 今までは、ある平面上のキャンバスを考えてきたが、自身の眼を中心とする、半径固定の球面キャンバスを内から描くと考えたほうが良いかもしれない。半径をどうするのかという問題もあるけど。平面キャンバスだと描ける範囲が限られるし、周囲の空間の歪みの程度がわかりにくい。

110226
 反比例xy=a、あるいは、x2-y2=aが、圧縮率の挙動として先ず思い浮かぶ表現である。
これらは、媒介変数t=iθによって、双曲線関数(sinh, cosh, tanh)として表現される。
三角関数(円関数)的挙動を示す双曲線関数は、オイラーの公式(eix=cos x+i sin x)を通して(マクローリン展開したものを比較してもいい)、冪関数exとしても表現できる。
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 今度は2メートル離れた。これも結構前に描いた絵だから前回の日記のコメントのご指摘は反映されていません。本棚に寄りかかりながら立って描いていたので、アイラインは前回より高くなってます。

 近接の場合、ターゲット(二人の人間)の大きさが距離xに大きく左右されて大小が明確になる。今回であれば、手前の女性の頭の大きさが後ろの男性の頭の大きさの約2倍になる。正確には、距離に対して大きさは反比例する(当然か・・・)。
 望遠の場合、ターゲット(二人の人間)の大きさはほとんど同じ。
だから、複数人いる絵の場合、写そうとしている人間(被写体)からカメラがどの程度離れているかの視覚的判断の最大の材料は、視野内の異なる場所にいるもう一人の被写体の大きさ(との比較)である。
 とても日常的で取るに足らない出来事を文章化すると、面倒臭い言い回しになる。

 アイライン(視点、カメラの位置)が上がると、絵の机の列の平行線の紙面上の角度が増す。これも当然。仮に机がより左に寄った場合、机の平行線の紙面上の角度は減る。
 ここで、視点を無限遠に上昇(もしくは、下降)すると、机の列の平行線は自分の真下(90度)(もしくは真上(-90度))となる。この時、視点を上下運動だけでなく、左右にも揺動させても角度は微妙に変化する。視点を左右のいずれでも構わないが、無限大に離せば角度は0度に漸近する。これに加え、遠くにある物体は、詰めて描く(圧縮して描く)。この時、その圧縮する比率を圧縮率と呼ぶならば、この圧縮率はどのように表現されるのか。そして、その表現の式から導かれる結果は、私たちが現実で感じる感覚とどのように対応しているのか。以前、複比という概念が必要と思ったが、あれ以降考えていなかったな。

「だまされる脳-バーチャルリアリティと知覚心理学入門」っていうブルーバックス(講談社)の書籍は役に立った。疑う機会が少ない感覚について知ることができる。私たちが無意識下に判断している距離感などを、なんとか言語化できるように研究されていたりする。バーチャル空間とか作り出すことに役立てるという目的があるようだが、絵を描くにしてみても同様の姿勢であるほうがよさそうだ。
 エンメルトの法則というものがある。太陽のような強い光を直視した際にしばらく像が残る。これは、網膜の光を感知する細胞がサチッ(飽和し)た結果なのだそうだ。視野上の残像の大きさは、網膜上の一時的に機能が低下した細胞のある領域の面積と対応しており、普通に考えると残像の大きさはしばらく変化しそうもない。しかし、遠くの白い壁を見たときの残像の大きさと、近くの自分の手を見た場合に重なる残像の大きさは異なるのだ。そして、この残像の大きさは距離に正比例する。遠いほど残像は大きく、近いほど残像は小さくなる。これが、エンメルトの法則と言われ、錯視の一種とされる。つまり、脳は得られる情報から無意識に距離を割り出していて、それに基づいて残像の大きさを脳内で調節して、その結果、出力された視覚を疑うことなく私は信じることになるのである。
 自分にできること全てが、理屈を説明できるくらい十分に理解できているという理由により、できているのではないことは知ってはいるが、少なくとも理解しようとしなければ思い通りには操れない。エンメルトの法則を逆手にとれば、僕達に黙って脳が勝手に演算している距離を、残像の大きさの変化の差から割り出すことが出来る。その推定された距離Xが実測距離xをどの程度正確に反映しているかはどこかの学者が検証しているでしょう。自分が無意識に割り出している距離Xを知りたいがために、意識下で感知できる残像の大きさという情報から逆算して距離Xを見積もる。これが正確であれば、大した能力だと思うが。

追記110206
 レオナルド・ダ・ヴィンチの考案したカノン(Canon=古代ギリシャの美術用語で、基準・標準の意。)
「頭部は全長の1/8、面長(三等分される)1/10、髪際~のどのくぼみ1/7(ウィトルーウィウスでは1/6)、頭頂部~のどのくぼみ1/6、のどのくぼみ~へそ1/6、手1/10、胸幅1/4、腰幅1/6、全身は正方形にも円にも内接される。」

 分数化された肢体の各部位が、有機的連関を持つ統一された方程式として表現できれば、これまで語られた統率感のない散漫なカノンの次元から一歩先に進んだ段階になった気がする。

 アルベルティの使用した「エクセンペダ(@『彫刻論』(1464年))」と呼ぶ方法の基本的な考え方は、「人間の大小に関係なく、個々の肢体部位相互の同一関係を作ることにある。」このため、「最も基本となる部位の長さで割り、比にする。規格化する。」人間の肢体の適当な部位を最小単位として全体を測定する。

 人体均衡論の歴史の上で、幼児の身体についての最初のカノンは、9/10世紀のアラビアの学者結社「純潔兄弟団」に見られる。それは後にブラッチアや面長という単位が使用されることになる。基準単位による最初のカノンでもあった。但し、幼児の比例がそこで示される意図は、画家や彫刻家の芸術的実践のためでなく、それが「調和的宇宙論の一部」をなすという見方からであった。モデルとして新生児のカノンが示され、親指と小指を広げた長さの指尺が基準単位として採用される。身体の区切り方は古代ギリシアのそれに拠るとみなされる。

(参照・抄録:「アルブレヒト・デューラー絵画論」)

文房具とかの小物を書くのも面白いもんだ。
でも、構図(ターゲットとカメラの位置関係)による見え方の差異を確かめようと思い立たったからこういうの描こうと思えた。適当に描いているから、あまりクオリティに気を配ろうとしないスタンスは楽でいい。あくまで肉眼による見え方を確かめとこうって思った。30mm-55mmレンズが肉眼に近いらしいが、不勉強でよくその辺詳しくない。カメラ詳しい人に聞こう。

あと、構図って言うが、構図ってなんだよ?ッて感じだ。
 僕は、一応、ターゲットとカメラの空間的な位置関係としているが、正しいかどうか知らん。今まで構図を余り考えていなかった自分としては、どのような構図が良いのかと考える前に、求められた構図を正確に描くほうが重要なのだと感じる。
 となると、今の僕には構図の良し悪しを吟味するんじゃなくて(実際には自在に操作できるレベルでの吟味はされていない)、しょぼく見える構図だとしても正確に描けるような能力を鍛えたほうがいい。ターゲットとカメラの空間的配置による見え方の違いを構図と言うのなら、構図は良し悪しではなくて、正確か不正確かで裁量するべきだろう。個人的な経験・感覚として、構図が良いか悪いかを議論する時に、多くの場合、構図自体を言っているのではなくて、その構図がもたらす演出的効果を含めたものを良いか悪いか評価しているような気がする。もちろん、構図を正確に描ける熟練工達の会話なら、構図っていう単語が既に演出上の良さも考慮された単語として使われているのだろうけど…僕にはまだ無理だ。
 構図とは、単なるターゲットとカメラの配置による見え方の違いと考えているので、構図が悪いとは、純粋には空間的整合性が誤っていることを意味する。空間的整合性が正しければその構図は良いといえる…いくらしょぼく見えてもね。
 当分は、肉眼で見た、近接のターゲット、望遠のターゲットをシコシコ描いて行こうと思う。奥行きを圧縮するのは、臨場感が増すね。


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・寝ること
・デッサン会
・異分野の本物の人間に会いたい
・真理編纂活動
⇒私の確信・直観の正当性を歴史の焔に焼べる。燃え残った"鉄塊"を我が真善美・規矩とする・・・そういった孤独な火遊びって意味。

確信・直観の裏付けのための書籍。即ち、焚き木。
■ 美の本体
(岸田劉生)
■ 自分の中に毒を持て
(岡本太郎)
■ 人間の建設
(小林秀雄、岡潔)
■ 人生の鍛錬 小林秀雄の言葉
(新潮社 編)
■ 現代語訳 学問のすすめ
(福澤諭吉、訳:斉藤孝)
■ 努力論
(斉藤兆史)
■ 努力論
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■ 歴史とは何か
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■ 幸福論
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■ 共感する女脳、システム化する男脳
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■ 人間性の心理学
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他、少々。

絵のための参考書
★ プロメテウス解剖学アトラス
(坂井建雄、松村譲兒)
★ やさしい美術解剖図
(J.シェパード)
★ やさしい人物画
(A・ルーミス)
★ 漫画の教科書シリーズNo.3リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座
(西澤 晋)
★ The Art of Drawing
(Willy Pogany)
★ ANATOMY AND DRAWING
(Victor Perard)
★ デッサン学入門~創意の源泉を探る~
(南城 守)
他、少々。
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