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 最近は、足が描ける様になってきた。何も見ずに描けはしないが、見ながらであれば以前より抵抗が少なくなった。髪の毛が難しい。立体感を出しつつ、線数を少なくして描くのであれば、植物の葉っぱが何枚か覆いかぶさった感じで大まかに描くのがいいのでしょう。生え際の線が頭をどのように走っているかを念頭に置かないとね。恐らく、まず、頭に線を数本引く。それを生え際として描くことで違和感なく仕上げる経験を積まないとね。

 新しいブログ作りました。フィギュアとか作りたくなって。将来的には、フィギュアに関わらず立体物の造型でもしてみようかなと思っています。
 名前は『天変★綱目』です。リンクに追加しておきます。

 あと、そろそろ本腰入れて、人体の比率を統計処理から割り出そうと思います。統計処理に必要な母集団の情報はどこからいただくかが問題ですが、これは無償で提供しているサイトがありますので、そこから拝借したいと思います。一方で、商品としてデータを販売するところもあるようです。例えば、体の部位約170項目の寸法をエクセル形式で販売し、一人分のデータは100円。50000人なら五百万円。統計的には集団が大きいほどバラツキが小さくなる。しかし、100人でも1万円ですからね。メーカーが椅子や机などの人の形状に関わる商品を作る場合に、そういった情報は不可欠だろうからメーカーは買うのかなぁ。

 目標は、年齢と人体の比率の関数化。年齢といったけれど、胎児の段階から考えないとね。なんとしても近似式を見出してみせる。というか、既に知られていてもいい気がするんだけどなぁ。アカデミックな論文ならもしかしたら既知情報かもしれんが、使っている情報源が異なっているならやる意味はあるだろ。というか、結果よりも導出工程を味わうことが重要なんでしょうけど。そういった意味では、簡単に得られる情報でなかったことは、自分で導出しなければならないという動機を与えてくれて好都合だ。残るは、実行に結びつくまでに、自分がそれが必要だと真摯に感じる感性を持ち合わせていることが問われている。
 関数はまず得られると仮定して、僕がそれ以上に何に期待しているかというと、例えば年齢が500歳とかになった時の人体形状とか現実的に起こりえない空想がある程度の根拠を持って得られるという点です。まぁ漸近するのだろうが。関数になれば、極限値とか求められる。

 デッサン会では確かに感性に訴える印象が強いです。目の当たりにする肉感や存在感は描き手にとって最上の情報が得られているという実感はありますし、今の状況を作ってくれた人達に感謝しています。一方で、統計値を算出できるデータを調査してくれた人達にも感謝です。これからは、特に、この二つの作業を連立して行います。

追記101110
0.模写の技術
→与えられた情報を正しく取り込み、取り出すこと。一切の自己主張はいらない。自然の代弁者となれ。

1. 構造の理解
→人体解剖図の模写。構造を知ること。構造を知らずに上辺だけ似せた絵は、結局のところその程度でしかなく、その理解の程度は素直に絵から読み取れる。構造の理解は満たすべき最低条件である・・・と言いたい所だがそれぞれの目的に見あうだけ善処すればって感じ。ここの部分は僕の執着の方が異常。

2. 構造の抽象化
→構造の精密な把握をしたなら、今度は実際に自由にかけるような方法が要請される。1.から求める終点は知っているのであり、終点に至る工程、ルールを考える。私は抽象化がそれに当たると思う。複雑な人体を簡単な図形に置き換える。→4. 遠近法との融和

3.ルールの理想化
→恐らく、それぞれの経験・感性によってルールを決めても、そこそこ終点まで達せられるでしょう。しかし、ルールも理想があるなら、それに従うほうがよい。私は、統計データに基づく抽象化が必要だと考える。ここで、理想とは定規であり、理想でないものを描くために必要となる。単位のようなもの。

1,2,3はいずれも0.模写の技術が拙いと成立しない建築的な作業である。模写の技術力に応じて、建設できる搭の高さが決まる。自分より模写が上手であり、上手に利用できる人間にこそ本当の恐れを覚える。
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 デッサン会はいい勉強になります。頭の中で、逐次的に理論値と実測値の擦り合わせをしてるんだろうな。この計算処理スピードは相当速い自信がある。でも、スピードよりも理論モデルの完成度のほうが重要でしょうよ。
 観察よりも理論が優勢になると、対象を見る時間が大幅に減少する。対象を見る時間が減ることは、模写を行う上では悪い習性である。理論を信頼し過ぎると、もの自体をよく見なくなることから拙い理論を改変する機会が減ることになる。
 理論の創出起源はどこにあるか。理論はそもそも、対象をじっくり観察することから経験的に得られ、体系化された知識なのです。理論を過信できる状態まで理論が発展したからといって、対象をじっくり観察しなくなるのは、『理論を過信できる状態』に至る起源を忘れた愚かな姿勢だ。そういった人間は、最近成長が感じられないと言う傾向があるのかもしれない。今まで、感じらていた成長の起源を知らずに成長していたのだろうと思う。

追記101107
『逐次的に理論値と実測値の擦り合わせをする』という部分についての続き。

 絵を描く感覚はスポーツに近いと思われる。野球でもスイングのフォームを自分のビデオを見ながら、理想に向けて日々どこが悪いのか修正し、体に覚え込ませていく。理想というものを設定して練習してはいるが、実際の試合でバッターとして打つ時には、体が無意識に理想通りのフォームを行うようになっていなくてはならない。
この無意識の動作(なんとか打ってやろう位は考えているだろうね)を、理屈で説明するのは結構難しい。ピッチャーが投げてから打つまでの短時間の思考を表現するならば、『無心』『体が勝手に動く』というのがピッタリでしょう。モノを考える神経回路を介さずとも、待ち受ける障害に対処できる洗練された思考経路なのでしょう。『高次の条件反射』と言えるのかもしれません。

 僕は6年間キャッチャーしてきたから、野球のことはよく判っていますが、もっと誰でも分かりやすい題材がありますね・・・『歩行』です。あなたはどうやって歩いているのか説明してくださいっていうのがいい例ですね。正解は『何も考えてないよ』でしょうね。理屈を持ち出すとおそらく感覚的には嘘になる。でも、僕たちが初めて立ったり、歩き始めたりした当時は、相当試行錯誤したのだと思います。当時は、歩き回る大人達を見て模倣し、感覚から得られる経験知・理屈を最大の武器にしていたのではないでしょうか。

 実際に絵を描いている最中も、完全に『高次の条件反射』とはいかないまでも、体が覚え込んだ機械的処理の部分が多々あると感じます。ここの部分をあえて説明しようと思うと、都合の良いコジツケとなる。だから、自分の主張が、単なるコジツケとなっているかどうかは細心の注意を払う必要があるのだと思います。
 ここで、僕が特に強調したいことは、体が覚える『高次の条件反射』に至るまでに、自分が採用するべき理想を探したり、作ったりする作業は『作品を仕上げる』という行動以上に時間を割くべきではないか・・・ということです。現実的には、両者を同時にこなすのが最良でしょうね。

 個人の感想・感覚を言った所で、それを他者が応用できるとは思えない。実際、上手に出来る人間は出来てしまうが故に、見当違いのコジツケ・理屈を主張しても一目置かれる保証があるし、主張内容もそれらしく聞こえる場合がある。出来る人間は自分がいかに『天賦の才』があるかを強調したいがために、脚色して大げさに表現しようとするかもしれないが、出来ない人間にはたとえ嘘だと分かっていても無視しきれない意見に感じられるのです。
 極力、嘘をつかずに他者に技術的な進歩を提供するために、自分ができることは、自分の掲げた方法論(何を参考にし、どのような行動をしたか)を明示し、それに対して、どのような効用がどの程度得られたかを絵(実力)で示すことだと思っています。そうであれば、たとえ僕が失敗しても成功しても、貴殿の貴重な時間を節約できる位は役に立つと思うのです。

 誤解を恐れずに言ってしまえば、僕の『感想の記述』は無視してもらって構いません。僕をモルモットのようなサンプルに見たてて、与えた『条件』に対してどのような『反応・結果』を起こしたかを注意して淡々と見て欲しい。モルモットの個人的な意見は様々だろうが、条件→結果だけは一意的だろうと思います(一意的になるように条件を厳密にするといった方が正しいのでしょうが)。
 意見が様々なのは、モルモットの経験・境遇・環境・教養・人間性などにより表現の幅が個人個人で偏りや制限があるから仕方がない。

 ガンダムUCの第二話でシャアが『私は自分を器だと規定している』とか言っていたんですが、こういうことを言わせる台本を書いた人はよく知っているなぁと思う。

 無個性への求心、アイデンティティの能動放棄、独創性への無関心という思想が働いているのではないか。哲学者(実際は、兼数学者とか兼自然科学者、兼政治家など色々なことをしている人が多い)は、既存の誰もが疑わず信じている概念を否定し、自分の見方も一つの真理だと主張することが仕事のようなものだが、そういった中でも比較的否定の余地がなく、多くの哲学者が語っている主張はありそうだ。それが、この辺りなのかなぁと思っています。

 どの哲学者の主張も、その哲学者自身が単独で思いついたわけではなく、彼らが生まれた背景・地盤を考慮しなくてはならない。だから、誰かと誰かの意見を比較する場合、どちらが先に出生したかということを確認することは結構重要だと思う。


 ゲーテ(1749-1832)は『ゲーテとの対話』で独創性などないことを言っている。以前、神保町でゲットした『人間ゲーテ(小栗 浩[1978年])』はゲーテの言うところの『独創性・天才』の捉え方を知る上で優良な本です。
 以下に、心に残った文章を引用。思想がもう血肉と化しているから僕の言葉で表現することも可能であるが、引用の方が力強く、興味も持っていただけるかもしれないという配慮のもと引用します。

『天才とか独創とかいうことがよくいわれるけれども、そういうものは全て、父母だけでなく外界のあらゆるものから学びとったのであって、そういう他からの感化がなければ天才などありはしないのだ、といっているのである。』

『独創独創とやかましくいうが、およそ誰でも自分の身に備わっているものはみな人様のおかげなのだ、そのことを忘れぬようにしたまえ。』

『世にいわゆる独創などといったものがその名に値しないことをわかりやすく言うために、ゲーテは冗談交じりに父母の性質を自分に結びつけていっているだけであって、この文句からゲーテの性格の説明を求めようとするのはよほどの見当違いということになる。』

『ゲーテは、独創を誇る詩人思想家があとを絶たぬのに業を煮やしたらしい。特にロマン主義者たちの独善的な天才ぶりは腹にすえかねたようで、しばしば寸鉄の矢を放っている。』

『むろん、独創が悪いのではない。しかし、既に多くの英知が語られているのに、なぜそれを手に取ろうとせずに、わざわざ目をつぶって通り過ぎようとするのか。大切なのは、誰がそれを始めたかではない。それを本当に我が物にすること、それを自分の人格に取り込み、自分の生活に生かすことが重要なのである。』

『昔のものであれ今のものであれ、詩人が自分のものとして悪いものがあるだろうか。せっかく花が目の前にあるのに、それを摘むのをなぜはばかるだろう。人の宝を本当に我が物とすることによってのみ偉大なものが生まれるのだ。』

『そういう落ち着いた英知はゲーテの晩年のものだといわれるかもしれない。しかし、彼はその青年時代から、模倣といって悪ければ換骨奪胎の達人であった。先人に学ぶことによって自己の個性を発揮するという点でこそ彼は独創的だったといってよい。』

 あぁー、ゲーテとお話したい。語り合いたい。エッカーマンいいなぁ。エッカーマン自身は決して勉学を優先できるほど裕福な家庭に生まれたわけではないが、大人になってからも午前中に高校(周りは若い学生ばかりの中)、午後から役所で仕事する生活を長年過ごした。ゲーテと出会い、秘書をする傍ら、名著『ゲーテとの対話』を書き上げた。彼がいなければ大著『ファウスト』の完成もなかったかもしれないとゲーテ自身が語っていた。ゲーテの士気に貢献したんだな。

 以上は、ゲーテの信念であるが、マーク・トウェインやバーランド・ラッセルも彼らの著書で同様の信念がありそうだなと見受けられた文章を以前見つけた。もちろん、表現はそれぞれですが、次回はそのあたりを報告します。

 そういえば、引用について調べたんだが、引用するためには7つほど制約条件がある。いずれも満たしていると思う。

 ゲーテは色彩論も展開してて、ゲーテ自身、当時主流だったニュートンの光学よりも真理だと考えていたようだ。法則性を顕在化させやすくするために、人工的に環境を制約し、原因となる変数を少なく出来る系を科学者が考案し、作るのであるが、その行為自体が自然を素直に見ることを妨げていると感じるのだ。ゲーテはその辺りの繊細な部分に興味があり、イリヤ・プリゴジンらが言うカオス、フラクタルに繋がる分野にゲーテは早くも着眼できる素養があったのではないだろうか。
 行列力学の創始者ハイゼンベルグがゲーテの詩を吟じ、ゲーテを題材とした著書『科学-技術の未来 ゲーテ・自然・宇宙』を書いている事は、決定論からの脱却に、ゲーテの思想が働いたように思える。

また、キチガイ染みたことを述べます。

 決定論(運命論)・虚無主義を基底状態として、神秘主義・汎神論を励起状態とする心境が出来上がっちゃいました。もはや、恋に恋する乙女の心境だ。
 選び読んだ本の積み重ねの結果であるが、僕の自由意思によって得られた結果と言えば傲慢だと言えよう。結果の原因を自分に求めるのは既に間違いだ。僕はそんなに特別な存在じゃないだろ。残念ながら、運命を統べる白き糸を紡ぐ手は持ってはいない。ある人間(サンプル)が今の世界に知恵を求めれば、大抵、僕のような心境になる世界になっているという見方が正しくて、その方が人間がいかに無力な存在かを自覚した謙虚さが伺える。

 今までふつふつと思っていた僕の傲慢(or謙虚)な考え方を言おうと思う。もちろん、この考え方の背景には、上記の基底状態と励起状態が錯綜している。

 第一に、『上手い絵が描ける状態』と『下手な絵が描ける状態』は、等しく特別な状態といった価値観を推薦したい。普通は、人間が勝手に『上手い絵が描ける状態』を優れており、困難だと判断しています。
 例を挙げます。今、地球人的な芸術的感性はないが、非常に理性の働く宇宙人に『下手な絵が描ける状態になってください』と要請することと、『上手い絵が描ける状態になってください』と要請することは、いずれも宇宙人にとって同じくらい熟考・吟味する必要がある課題なのだということである。どちらも決して簡単ではない。結局、人間の言うところの『下手』とは、理性を働かせていない行動結果と換言できよう。
 例に宇宙人を挙げたが、他の例として、絵を自分で描けるロボットを作ろうとする場合も、この価値観は惹起されやすいだろう。下手な絵を描かせるために、どのようにプログラミングするか。

 第二に、自分が理解できてない(or知らない)事柄は、大抵、周囲の人間も理解できていない(or知らない)から、今の自分も理解できていない(or知らない)状況なのだという考え方である。この意見は、横着で、他力本願と感じる方もおられるだろう。でも、人が持っている知識の99%は誰かしらの借り物にすぎないのは事実でしょう。今まで借りた概念を一つ一つその起源を辿り、貰った人に返し終わった時、自分発祥の概念などほとんど残っていないだろう。自分発祥の知恵があったとしても決して無から生まれたわけではない。その発祥の起源・契機は他人が育て上げたものというのも少なくないだろう。
 この考え方は、まず、個人単体からの無限とも言える知的情報の洪水の幻想を捨て去る。ハルヒは幻想なのであり、ハルヒが存在するなら、確かに彼女は、人間ではない。
 ある人がパソコンに詳しいなら、そういった情報を圧倒的に感受しやすい境遇・環境が一般人に比べ、過去に存在したと考えるのだ。決して、その人自身の万能性・生来性に依拠するとか思い違いをしてはいけない。

 さらに、この考えに基づけば、分からない自分を『ダメな自分だ』と自分を責めることは、大いに間違っている。加えて、第一で述べた考え方に基づけば、『あなたは、ダメな自分の状態を自分で選択できるほど自由な世界には居ないんだよ。もし、これ以上、自分はダメだと責め続けるのなら、あなたは自分が運命(自分の意思でダメな自分の状況を作り出したということ)を操れる器があると思っていることになるんだよ。』となる。
 河原に落ちてるゴツゴツした石が、周囲のスベスベの石を見て、『自分はスベスベになれなくて本当にダメな自分だ』と言っているようなものだ。再三言うが、スベスベかゴツゴツかは、気まぐれな河川の軌跡が決めるのであって石ではないのである。

 ただ、以上を持ってすれば、どうすればダメな自分を脱却できるかは検討がつく。赤くなりたければ、朱に混じるような状況に自分を置けばいい。

 朱に混じっておきながら、赤く染まらないのもまた大変なのだ。というか、人間に赤く染まらないかどうか選択する自由などない。そういった抗えない力が働いている。


(追記101104)web拍手返信
●真昼さま
 お久しぶりです。お元気ですか? web拍手見れるようになっています。すみません。拍手ありがとうございます。
そういえば、真昼さんのリンクを今更ながら気がつきました。僕の陰湿・内向的な感じとは対照的に、クールでアウトプットな感じで驚きました。ちょっと拝見させていただきたいと思います。



先週は、コスプレの好きな女性がモデルでした。


 私達は中学生ぐらいから、無意識にしてもアイデンティティーの確立を目指してきたらしい。自分が好きな人、芸術、スポーツなんでもいい。人はアイデンティティーを否定されると、自分を馬鹿にされたかのように怒り狂い、落ち込む。なぜなら、その否定は私の否定と同義であり、それだけ自分と融和しているのである。自分を否定した相手は、自分にとって不快を与える許し難い存在だ。否定には否定で応えてやろう。事の真偽ではなく感情を優先したいのだ。
 若い頃は、偶然自分の知りえたことが世界の全てであり、世界の本性だと思ってしまう。現在の自分が持つ価値基準は十分洗練されており、常に正しい解答を弾き出すという脱し難い観念を、結構な自信で多くの人が持っているのは事実だ。これは仕方がないことだが、そこから情熱・使命感が湧き上がるのならば、年相応の好ましい勘違いである。

 今になって思うのは、次の精神的成長の段階として、今まで培ってきたアイデンティティーを能動的に放棄(取捨選択)できる精神構造へ変遷することではないかと感じるのです。
 自分が本当に空っぽだった頃は、自分を形作るものが一つもなかった。ようやく手に入れた自分の欠片の真偽の検証は問題ではなく、ただ専ら大事にするが重要なのだ。しかし、年齢を重ねるにつれ、色々な素晴らしいものを手に入れることができた。比較ができるのだ。もはや、最後の一滴のように自分の欠片に固執する必要もなくなってきた。今までは、この最後の一滴が、偽物であっても私たちは盲目的に信じ、守ってきたのだ。

デッサン絵を更新。

 私は絵を描き始めた当初、方法論なども持ち合わせておらず、唯一、自分の感性・直感のみを頼りにせざるを得なかった(直感以外に選択肢はない)。模写を行うことで自分の欲求を満たす程度の絵が得られることには薄々気がついていた。

 私は、第一に感性・直感を大事にしている。しかし、絵における方法論を人に伝える時に、『感性・直感』を引き合いに出して説得したり、他者の姿勢の否定を行うことは建設的ではない。といっても、未知の物事を学究する初段階では、人は自分の感性に頼ることしかできないのも事実だし、誰でも自然にそうしているものだ。

 古き良きものから学ぶ系譜意識は大切だ。学問にしても、今から基礎的実験を自分で一からするのは時間が許すなら当然行ったほうがよいが、現実的には、50年位前~現在までの良書を10冊くらい読むほうが効率的だ。このことは科学では常套であり、どの教科書も『直感』という表現での説明はされてはいない。直感は契機であって、尤もらしい理屈・説明は数式で簡潔に書かれている。では、この数式モデルに辿り着いた学者は、感性を一切持ち合わせていなかったのだろうか。そうではない。恐らく、鋭い感性によって自然現象を素直に捉え、最も法則性が顕在化されるであろう実験系を空想する過程があったろう。結果として伝えられる、誰もが利用可能な普遍的な数式からは、人の持つ感性とは相容れない印象を受けるのかもしれない。それは、運命を決定づける力を有し、人の意思・努力などで崩せる因果律ではないからだろう。即ち、この領域において自由意志は無力。しかし、そういうものが、万古不易、どの時代でも語られ続ける概念として、歴史の審判を耐え得るものである。

 絵画の歴史でも、特に14-16世紀頃にこういう発想の人達がいる。デューラーの『絵画論』では、序文で彼のスタンスが述べられている。彼は人物描写で得た法則をささやかながら披露するので、後世の人々がさらに修正・発展させ、完成度を上げて欲しいという願いのような文章を書き綴っている。この要望に応えようとする人間が今までいたのだろうか。現代においては、そんなことよりも、『自分らしさ・独創性』を求める方が多いのではないでしょうか。自分の感性は人より優れていると盲信し、勝手気ままに描いた絵が評価される優しい世界なら、確かに多くの人が望む所なのかもしれない。

 ゲーテは『独創性などない』と言い切っている。この見解に私は大変感銘を受け、渇望していた信念であると感じた。ゲーテは、当時、ロマン主義として出現した若者達が、過去の良いものを一切無視し、ただ自分達の感性のまま表現しただけの作品を掲げ、居丈高となっている状況に遺憾の意を示した。若者達はひたすら自分達の独創性を謳う。ゲーテはこのようなロマン派の作品は一時的で脆弱、病的なものと揶揄し、一方で、古典(クラシック)を普遍的、健康的で正統だと言っている。この風潮は、絵や詩だけでなく、音楽の分野でも同様であることを、とある若者が作った曲をモーツァルトに評価してもらう話を例に挙げて説明している。
 ゲーテの箴言で『真理は発見されて既に久しい(遺訓より)』というのがあるが、これは、過去の偉業を無視し、習うことを知らない若者が、自分の再発見を自分の手柄として認めろという図々しさへの戒めに聞える。
 独創性の発生メカニズムをよく考える必要がある。多くの場合、作品を作る側ではなく、作り方・歴史をよく知っていない受けて側の感想に起因していると推察している。
 自分で自分の独創性を判断するにしても、過去に全く着手されていない真に未開の分野なのか、それとも、過去の誰々の発想の延長線上にあるのか、など相対的に考える視野・知識が必要だ。自分の力の起源を忘れるな。

 これらの方々が今の自分の価値観・信念を形成する核となっているのでしょう。私は、絵に独創性ではなく、無個性を求める。僕にとっての無個性は、無知な人にとっては独創的だと写るだろう。それは、僕が作品に盛り込んだ思念を完全に分解・読解できないからだ。分解できるほど哲学的思考が鍛えられていないからだ。そういう場合、多くの人は『天才』などという、持て余す曖昧な言葉で自分自身の理性の欲求を満たし、思考停止となることで心の平安を獲得する。分解できる慧眼の持主は、僕の作品に面白みを感じず、ビリヤードのような力学的予測が可能な退屈極まりない系の振る舞いにしか写らないだろう。ラプラスやゲーテだけではないが、多くの偉人は悪魔と正面から向かい合い、飼いならしているという仮説が私にはあるようだ。

 私は、直感を最大限に発揮した分析により、誰でも理解・利用できる理論に還元・総合することに努めたい...という立場です。ただし、無個性を競う人達にしてみれば、僕の絵は僕らしさがまだ臭い立っていると言われそうですが。


 最近は二週間に一回くらいデッサン会に参加することがあります。
上の絵は、2分間のポーズで描きました。

 自分の描く線が、結果的に『正しい線』となっていく。『正しい線』というのが先行して存在しているのではない・・・という感覚が訪れる。一つの線には、それ単独ではなんら意味・価値は持ち合わせていない・・・という勝手な仮定に基づく(論証する気はさらさらないが・・・)。意味・価値とは関係の中にある。その関係を探し求めるという目的意識が根底にあることが肝要。一見、形として認識にしくい抽象的な『関係』の真価に魅入られた人は、いい仕事をするだろう。
 関係が手に入れば、私は無量の幸福感が味わえる人間のようだ。
 

遠近法では複比が重要。
本当に空間の歪みを表現するには重力場方程式を理解しろ。
リーマン幾何は武器になる。

便宜上、7:6:4:5均衡図使用しています。
知りたいことは、対象からどの程度離れているのか。

均衡図どおりの比率で描くのであれば、それは無限遠から望遠鏡で
拡大して観察することを意味する。

均衡図どおりに描かない場合の方が、興味があると思うからその場合を紹介する。

絵は頭部(4)と手(3)が見かけ上、同じ大きさに見える場合である。腕の長さ(4+5)分、離れているんですね。
結論から言うと、
この女性の顔とカメラの距離は211cm程度離れているようだ(手の大きさは女性の平均の17.6cmとして計算。均衡図とは、例えば手の大きさが決まれば、体の各部位の長さが一義的に決まってしまう指標のことだから、この場合、手(3)が決まれば腕(9)が決まる。)

僕は手の大きさがちょうど20cmですので、
絵のような構図の場合、カメラは240cm(=20×9/3×4)離れていることになる。
さらに、手と顔の大きさの比率と距離の目安を持っていれば、いいことあるかもね。

ここにきて、ようやく人体を簡単な整数比に変換した均衡図と遠近法が融合してきた。以前言っていた、親和性が高いという表現の一例です。

均衡図の腕の比率(9)から距離を計算しているので、
均衡図の質が重要になるのは理解されると思う。

それにしても、目が死んでる。口も失敗した。

描かれている人の身長は全員同じという前提があります。

僕から5メートル離れた地点にいる人が、僕にとって大きさ1に見えるとする。
さらに、
この人が僕から離れて、10メートル離れた地点に来た場合、僕にとって大きさ1/2に見える・・・・という当然の話です。

これを利用して、遠くにいる人間との距離を精度よく距離を求められる。
ただ、大きさを1とする基準が必要となる。
手を前方に伸ばして、親指の大きさを1とする。
この親指の同じ大きさになる人の距離を20m[?]とかにすればいいよ。
感性には勝るだろうよ。



歪みの程度を表す関数を、位置(x,y,z)、角度θを用いて表せ。対象の大きさは1とする。人は複雑なんで、人を立方体に置き換える。
この立方体の各辺の歪みの程度が知りたい。

人体の整数分割。
一応、これまでの均衡比の総合的な図。
・頭身:28/4=7
・恥骨[または、手首]が半分
・(ヘソ~足底)/(頭頂~ヘソ)=1.33・・
・(全身)/(ヘソ~足底)=1.75
黄金比から結構ずれた。

若干、脚を短く描いてしまった。もうちょい長いほうがバランスがいいように思えるが、多分、比率通りにものさしで描けば良いを信じている。

脚の立体感を意識するために、ブロック化したほうがいいかもね。

下肢の比率は上肢と同様に書けると思っている。
即ち、
上肢⇒上腕骨:尺骨:手=5:4:3
下肢⇒大腿骨:脛骨:足=5:4:3
ただし、立っている人の場合には、
踵(かかと)の長さが脛骨に加えられると考えると
5:5:3になるとする。
だから膝はちょうど中点としている。

十一面観音菩薩の彫像を見てて、腕の長さが常人より長いものがあった。それに習い、やや長くしている。
比率にすると、
観音:肩~肘:肘~手首:手=5:5:3
 人:肩~肘:肘~手首:手=5:4:3
ってな感じ。

蓮の花が開花しているのは、解脱した人(菩薩)の証。
蓮の花がつぼみなのは、解脱していない人の証。

左手に持っているのは石製の化粧パレットです!
輝安鉱をこすってアイライン用の顔料に使うんです!

一般に、構図といわれるのでしょうが、対象からどの位置で
見ている図なのか意識しないといけないな。
高さは地平線が目安になる。
距離に関しては、y=1/xで大きさが変化する。xは距離、yは対象の大きさ。
この絵は、果たして望遠で拡大して見ているのか?接近して見ているのか?
このあたりを定量的に扱えると強いな。

悟り人『このような苦行に・・・・意味は・・・あるのか?』

自分が経験的にたどり着いた結論とかがあるとして、古代の哲学者が同じような結論に達していることを書物で知ることがある。
自分と同じ結論とは言いすぎですが、まぁなんとなく、そうなんじゃないかと思っていたことが、確信に変わるといった感覚が得られるのです。
そんな時、まるで自分のための伝言なのではないかと勘違いをし、もっと早く知ってればよかったと思う。

3世紀の層序から出土した仏像らしいが、12世紀後のルネサンスに匹敵するくらいのディテールがある。

ブーグロー作品の模写。
模写ってほど、神経使っていないですが。
だから、雰囲気までは再現できてない。

個人的な変更点は、髪を長くして、羽を散らした。

この人の盤石な基礎力にあやかりたい。

こういう、アカデミックで面白みのないと言われる絵がいい。
ブーグローはこの絵を描く過程で恐らくだが、他の画家よりも体系化された法則を駆使していたと思われる。だから、優れていると感じる。
結果として現れる絵だけで判断していいのだろうか。

顔の比率です。

アニメ絵と現実の人の顔はどこの比率が違うのか。

水平方向の目の幅(目の横幅)に関しては、アニメ絵でも現実も同じ。
問題は、垂直方向の目の幅(目の縦幅)です。

(頭の縦の長さ)/(目の縦幅)
を示すと、
アニメ絵では、7程度であることが普通にある。
実際の人では、12-14程度である。

ちなみに、猫は7程度です。

アニメ絵は目がでかいといわれるが、
垂直方向に目がでかいというのが本当。
その目のでかさは猫並の比率。

アニメ絵も広いから一概には言えないけど。



よく知られている手の甲の比率。
指先に向かって、次々に等分割していけばよい。
それでも、慣れっていうのが必要だと思った。

言うのは易いが、するのは難しい。

腕と胴体の比率は相乗平均を用いて指定した。
よく知られている人体の黄金比として
(全身):(へそ~足)=Φ:1
で全身を決めました。

★相乗平均黄金人体均衡図(仰々しいなぁ(汗))
まとめると(Φ=1.618として計算)
全身=5Φ+2
頭長=2×1/Φ
頭身=1/2(7Φ+5)=約8.163
腕を広げた時の幅=2(Φ+√Φ+2)

(両腕を広げた時の幅)/(全身)×100=約96.93(%)

★ミロのヴィーナスが8頭身
あの像って、直立しているわけでわないから測定しづらい。
でも、8頭身が理想的で美しいという神話のためか・・・8頭身と様々な本に記載してある。でも大体が、引用か噂に頼っているのであって実際に検証しましたという本は見たことない。逆に言えば、それだけ言い切っても問題ないくらいに認められている数値なんでしょう。

黄金比Φから8頭身という整数値を出すには8Φ/Φという比になるように設定する必要があるが、古代ギリシアの職人は像を作るとき、人体を黄金比Φで置換した定規を用いていたのだろうか。もし、あるとしたらその古文書や技術が現代までに伝統されていないのは残念。現代の人で、8頭身がなぜ美しいとされるか説明できる人間はいるのでしょうか?みんな誰かが言っていたからとかいいそう。
日本人は7頭身だし、実際に8頭身であることが理想とか美の絶対条件ではないのは明らか(こう断言できる理由もないのだが・・・)。昔の人が個人レベルの感覚に頼って8頭身が理想という結論を導いたとは思わないし、それが現代まで通用するとは考えられない。当時は根拠があったんだろう。

すっごい遠まわしですが、つまるところ、伝えられるべきものが伝えられていないことにイラってしました。

★恥骨が体の中央として、計算した結果は
全身=2(Φ+√Φ+1+1/Φ)
頭長=2×1/Φ
頭身=Φ(Φ+√Φ+1+1/Φ)=約7.294

同様に、
(両腕を広げた時の幅)/(全身)×100=約108.47(%)

★黄金比と調和平均の関係
1とΦの調和平均である2×1/Φは頭長や胸郭下部の円比になっている。
調和平均はx^2=x+1の解であるΦと似た処理をしているようだ。

相加平均黄金人体比と相乗平均黄金人体比という二つの場合、のいずれにも黄金比で表そうすることが、そもそも調和平均を使っていることになるらしい。

(追記)090625
身長を決める方法で、
(1)頭~へそ:へそ~足=Φ^-1:1 (身長がΦ)
(2)恥骨を体の半分とする
の2通りの方法がある。

今回用いた相乗平均による図では、両者とも異なる全長を示し、異なる頭身となった。この異なる値を何とか一致させるように考えたところ、

相加平均による図において、恥骨でなく坐骨の下端(要するに骨盤の円の最下端)を全長の中心とすれば、5Φ+2となり、二つの方法のいずれでも同様の値が得られた。

ここで、こじつける。
★一歳の子供:4頭身程度であり、へそが体の中央
★成人:7.354等身であり、恥骨が体の中央
★黄金人体:8.163頭身であり、骨盤最下端が体の中央
つまり、へそ~骨盤最下端の体の中央の変遷の内、恥骨は成長の途中過程に過ぎない。黄金比が見出せる比率になるには、体の成長と連動して体の中央がへそ→骨盤最下端まで下降すると考える。
平たく言えば脚が長くなる。


★相乗平均Φ近似と相加平均Φ近似と整数近似の関係
相乗平均と相加平均の特性を両立させる中間的な立場が整数近似(7.5:6:4:5均衡)の意味するところなのかもしれない。

・相乗平均の特性
腕の5:4:3は三平方の定理が成立。

・相加平均の特性
胴体の6:4:5は二通りの全長算出手法のいずれでも値が一致した。

実用的には整数近似が有用である。
ちなみに、整数近似では、相加平均や相乗平均のように正確なΦは得られず、Φの近似でしか表せない結果となる。例えば、
・身長:へそ~かかと=5:3(フィボナッチ数列の第4近似)
であり、Φにはならない。
Φであれば、約8.16頭身であるが、整数近似の場合には7.5頭身となる。


体の平均のバランスとして、また一つほど、近似を紹介します。

その前に、上肢(肩~手先)の比率を知っていただきとうございます。
資料(統計データ)と実測から、
上腕(肩~ひじ):前腕(ひじ~手首):手
=5:4:3
という近似は個人的には全世界共通であってほしいところです。

以前、紹介した胴体の3円をそれぞれ上から
6:4:5と指定します。すると絵のようになります。

★くびれの高さ=上腕の下端
★恥骨の高さ(体の中央の高さ)=前腕の下端
★腕の比率は5:4:3
とする約束をすべて満たすには胴体の3円を6:4:5にすることが求められました。したがって、胴体の3円から、無理なく、腕のバランスも関連させることができました。
なお、注意として、胴体の比率の5の円は円内に骨盤全部が収まるように設定しています。以前とは異なります。
詳細にいえば、円5を5分割して、恥骨は上から4番目の高さに相当し、それより下は坐骨の領域としました。

ちなみに、腕は5:4:3(=1.666:1.333:1)なので三角形を作ると直角三角形です。
今回は、整数比で人体を近似しましたが、黄金比Φで分割すると
腕は
上腕:前腕:手=Φ^2:1/2(Φ^2+Φ):Φ
と近似しました。
もちろん直角三角形にはなりませんが。

ちなみに、頭長は4で、恥骨を体の中央とするのであれば全体は28となるので7頭身となります。
以前に
6:4:5→7.5頭身としましたが、これは恥骨の位置が異なるためです。

※(両腕を広げた時の長さ):(身長)は?
医学書には成人男性であれば平均が
約106:100らしい
今回のバランスから導かれる比率は
約107:100になるから、誤差の範囲内かな。
30/28=約1.07

※4頭身に対しては?
1歳は4頭身らしいのですが、上記と同様の方法で4頭身を導くには二つ条件が必要です。
★体の中央をへその位置として全長を決める
★首の長さを0としてやる(厳密には、正面から見える首の長さ)
この二つの条件は1歳であれば、十分満たすと許容してくれるなら正確に4頭身となります。

人は2から7,8頭身くらいまでを約20年くらい掛けて変遷していきます。
この変遷の中のどの時期の頭身も表現できるマニュアルが必要となる。
上の二つの条件を二つの変数とする関数となるのでしょうか。


(追記)090622
腕の黄金分割は
 上腕:前腕:手=Φ^2:1/2(Φ^2+Φ):Φ ( = Φ:1/2(Φ+1):1 = Φ:(Φ^2)/2:1 = 1.618:1.309:1)
ではなく、
上腕:前腕:手=Φ^2:(Φ^2+Φ)^(1/2):Φならば三平方の定理が成立するからこっちにしよう。簡略化すると、
上腕:前腕:手 = Φ:√Φ:1
        = 1.618 : 1.272 : 1
となる。

上腕:前腕:手=Φ:(Φ^2)/2:1 の前腕は上腕と手の相加平均。一方で、
上腕:前腕:手 = Φ:√Φ:1の前腕は上腕と手の相乗平均ということです。思いのほかすっきりした。
相乗平均は指数の相加平均だから、ここからネイピアこねーかなぁ。


調和平均では、
上腕:前腕:手 = Φ:2(Φ^-1):1
        = 1.618 : 1.236 : 1





前より適当な感じですが・・・。
何か発見があれば清書しようかな。

今回は7.3:5:3:4均衡図。
3円がそれぞれ5:3:4です。ピタゴラスの比率です。
この3円から展開される頭長は10/3。
全長は19/3+18=73/3。
よって73/3 / 10/3 = 7.3頭身。
これでも頭が大きくは見えない。理想と言われる8頭身はもっと顔小さい。ちなみに日本人は平均しておよそ7頭身だそうです。

『ミロのヴィーナス』は8頭身でφ(黄金比)を見出せるとよく言われている。だから、3円の比にもφ^2、φ、1/φ、5^1/2とか入ってくるのだろうか・・・と思ってしまう。

これまでを纏めると
3:1:2→6.5頭身
4:2:3→7頭身
5:3:4→7.3頭身
6:4:5→7.5頭身
って感じっぽい。
逆に頭身を指定してやれば3円の比率は求められる。
3円を基盤としている限り、それが限界でもあると思う。そもそも、3円からスタートすることの正当性は保障されていないから信じるのも微妙です。だからこそ、この方法から得られる奇跡的な結果を探し、この方法を選択することの根拠とするのが目的。だから数字遊びになる。

追記(090516)
日本人の人体の各部位間の平均値が販売されているんですね。
こういった文献から算出したのであれば良いかも。

今後は取り合えず7:4:2:3で横面図も描きたいと思う。
これを上手く行くように設定して、3円ではなく3球とする。

ちなみにtan60°:cos60°:sin60°などということも試したが、実際の測定値から攻めてた方が良いかな。

あと黄金比φでは7頭身にならなかった。
φ^2-φ-1=0を満たすのが黄金比で、結局、φ^-2+φ^-1=1を利用して、頭身を整数に導くのですが、φ^-2とφ^-1の係数が同じにならなければ無理数であるφが消えないんです。その結果、6.1頭身位になった。

逆算して、係数を同じになるように、そして7頭身になるように仕組めば
x^2-x-1/2=0となる方程式の解であればよい。
x=(1+√3)/2=1.366・・・・
(ちなみにφ=(1+√5)/2=1.618・・・・)
だから7:x^2:1:x均衡図はx=(1+√3)/2の時に満たす。
このxは自然界とか幾何学とかで何か意味のある数であればいいんですが。


なかなか、気持ちが悪い絵柄になっちった。

 人体の構築する初期の段階で、4つの円を意識して描き始める方法を提案します。4つの円とはまず、頭部を囲む円と図に示した色つきの円3つです。
 今回は3個の色付きの円の長さの比率を上から4:2:3としました。
注意すべき点は、色つきの円の中心や円周が人体のどこと対応しているかです。
例えば、円2(赤)を挙げよう。
円の中心の高さは『くびれ』、最下部は『へそ』、円周の上半分は肋骨にスッポリはまる位置としました。正しいかどうかは各自判断してください。

何も考えずに円を描きましょう。その円を図中の円4(紫)とします。
円4(紫)を描けば、以下のように情報が展開できる。

円4(紫)→
(1)目の高さ(位置)
(2)肩幅
(3)円2(赤)の大きさ・位置
(4)乳頭の位置
など
(1)~(4)もそれぞれ同様に、情報を含んでおり、連想ゲーム的に情報を紐解いていく。
全部は記述しないが、結果的に最初に描いた円で他の情報が一義的に決定される。
即ち、一つの円の中に、図のディテールで描くことができる程度の位置・大きさの情報が全て含まれているものとして扱うことができるようになる(人体を円に圧縮した)。実際に描けるかどうかは位置や比率だけでなく解剖学的知見が必須ですが。

円にどれだけの情報を見出せるか。また、いかにうまく構築する過程を組み立てられるかが重要ね。

この人体プロポーションが気に入らない人もいるでしょう。それでも何か描く上で指標(=定規、定石、機械的処理)は必要です。もっと足が長く細い方がいいなら、この絵を描く方法を軸に考え、やや足を長くするようにすれば良い。もしくは、3円の比率を変えて生じる人体プロポーションを自分好みになるように比率を調節する。
 4:2:3は個人的には、扱い易さと見た目の妥協点(最大公約数)的な感じで現在のところ最良比候補として考えています。ちなみに、私が『良い・正しい』という基準はその法則が多くの人に当てはまるかどうかです。個人的な美的感覚ではありません。不格好な現実をありのままに表現することがいいんです。
 他にも3:1:2の可能性もあるが、まだ試していない。できるだけ簡単な比率がいいでしょう。

追記[090504]
法則には信じるに値する奇跡とか美しさは必要だと思います。個人的には実用性があれば汚くても平気なんですが。
ただ、気になることがあったので報告。

 !結☆論!
円(紫):円(赤):円(緑):円(頭部)
=4:2:3:8/3

(頭部の円比)=(8/3)^1=2.666666・・・
(頭身)=(8/3)^2=7.111111・・・
(全身の円比)=(8/3)^3=18.962962・・・

(頭部の円比)はネイピア数e= 2.71828・・・だったんだよ!(飛躍かな?コンキョレス?)

(頭部の円比)=(e)^1=2.71828・・・
(頭身)=(e)^2=7.38905・・・
(全身の円比)=(e)^3=20.08553・・・
と一応なる。

追記[090506]
eと8/3は区別したいと思ったんだが・・・。
今回は4:2:3:8/3
次は4:2:3:eを作りたい。eを目分量で導出可能な方法はどうしよう。
e=1+1+1/2+1/6+1/24・・・+1/n!+・・・・
と展開。比率的には以上のように足していけばいいから理論上は描けそう。でも、1cmの円の1/24とか気にするに値しないとして、以下を無視すると、
(4項目までの和)=8/3=2.66666・・・である。
即ち、8/3というのはeの4項までのマクローリン展開であったと後付する。
ちなみに、円4(紫)から、頭部の円比を導く処理は
円4(紫)の半径を3分割(=2/3)し、これが4個分とするから8/3が得られる。簡単な目分量だから、eの近似の精度以上に、取り扱いやすい点が良い。

ここで、まとめると
この絵は4:2:3:e均衡図とする。eは近似として8/3とした場合と位置づける。
e-8/3=0.051となり十分近似(1.88%の誤差)しているとみなそうと思う。
というか正直、これ以上の近似精度向上は取り扱い、描写速度の点で得をしない気がする。

追記(090512)
頭部が8/3
全体が16+8/3(半径は8+4/3)
全体/頭部=7(頭身)でした。
7:4:2:3均衡図に改名です。
それでも、エクスポネンシャルが関係することを期待してる。
何とかしてeで表したいが、今回は必要なさそうです。残念orz-sτo

・肩から肘までの長さ:3
・肘から手首までの長さ:3(ここは微妙)
・手の長さ:2(=8/3×3/4)
⇒肩から手の長さは合計8

下半身(恥骨~かかと)の長さは8+4/3
・上腿の長さ:4+2/3
・下腿の長さ:4+2/3
膝関節(膝基底線)が半分の位置というのは周知らしい。
それぞれの2/3になる部位は上腿は大腿骨の下端、下腿は足としよう。

まだ未完成の均衡図。
長い目で確立していくぜ。

人体に簡易的な比率・図形を見出す作業。
 この均衡図を完成させ、描く上で何が有利になるのかをよく知る必要があると思います。3点ほど価値があると思う。
 1点目は再現性。人を選ばず、その法則を知り、ある程度の人体の知見があれば良い絵が描けるように導くことができる方法論として通用する可能性があること。
 2点目は時間の節約。求める絵に機械的に(考えるのをやめて、とにかく)法則を適用し、規定の完成度まで導けること。
 3点目にパースとの親和性の高さ。人体は複雑だが、簡単な図形に置換することで、遠近感、空間の整合性といったことに適応しやすくなること。




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・異分野の本物の人間に会いたい
・真理編纂活動
⇒私の確信・直観の正当性を歴史の焔に焼べる。燃え残った"鉄塊"を我が真善美・規矩とする・・・そういった孤独な火遊びって意味。

確信・直観の裏付けのための書籍。即ち、焚き木。
■ 美の本体
(岸田劉生)
■ 自分の中に毒を持て
(岡本太郎)
■ 人間の建設
(小林秀雄、岡潔)
■ 人生の鍛錬 小林秀雄の言葉
(新潮社 編)
■ 現代語訳 学問のすすめ
(福澤諭吉、訳:斉藤孝)
■ 努力論
(斉藤兆史)
■ 努力論
(幸田露伴)
■ 機動戦士ガンダムthe ORIGIN
(安彦良和)
■ 創造への飛躍
(湯川秀樹)
■ 行動学入門
(三島由紀夫)
■ こころの処方箋
(河合隼雄)
■ ニーチェ入門
(竹田青嗣)
■ 大衆の反逆
(オルテガ)
■ ゲーテとの対話
(エッカーマン)
■ 人間とは何か
(M.トウェイン)
■ 思考の整理学
(外山滋比古)
■ 文芸批判論
(T.S.エリオット)
■ 歴史とは何か
(E.H.カー)
■ 幸福論
(V.ラッセル)
■ 共感する女脳、システム化する男脳
(サイモン・バロン=コーエン)
■ 人間性の心理学
(宮城音弥)
他、少々。

絵のための参考書
★ プロメテウス解剖学アトラス
(坂井建雄、松村譲兒)
★ やさしい美術解剖図
(J.シェパード)
★ やさしい人物画
(A・ルーミス)
★ 漫画の教科書シリーズNo.3リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座
(西澤 晋)
★ The Art of Drawing
(Willy Pogany)
★ ANATOMY AND DRAWING
(Victor Perard)
★ デッサン学入門~創意の源泉を探る~
(南城 守)
他、少々。
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